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なにやら復讐を決意した爺さんが、自分の家を後にした途端、ドカーン。
そして無駄にカッコいいオープニング。
しょっぱなから空いた口がふさがらない。
この爺さん、「空飛ぶギロチン」なる伝説の暗殺兵器の使い手。アンド盲目である。
彼が復讐の標的にしていたのは、カンフーの達人である片腕の男(主役)。
しかし街で怨敵を見つけたと思いきや、盲目のため片腕の別人をうっかり殺害してしまう。
続けてこのセリフ。
「こうなったら、片腕のヤツは皆殺しじゃぁ!」
・・・。でも、こんなことはまだまだ序の口。
場面変わって“片腕カンフー”の先生。
彼は天下一武道会的な大会で解説を務めていたが、ギロチン爺さんに見つかって、取るものもとりあえず逃走。
弟子でいっぱいの道場に乱入されても、やっぱり逃走。
「先生」のプライドなんかまったくもってゼロなのです。
やがて気が付けば、物語はそろそろ終盤。
“主役”はやっぱり勝って終わらなきゃいけないわけだが・・・、やりかたが卑怯!
こればっかりは見てもらわなきゃいけないけど、とにかくヒドい。
卑劣。残虐。極悪非道。
今どきのダークヒーローも真っ青のやり口と戦略性に、見る者は茫然とするしかないのであった。
とまあアクションらしく痛快(?)エンディングで物語は終わるのだが、最初から最後まで気になる点がひとつ。
片腕カンフーの先生、明らかに腹回りに“何か”が入っている。ずーっと。
どうせなら「中の腕などない!」っていうセリフも言ってほしかったぐらいだ。
ちなみに監督・主演・脚本は、ジミー・ウォングさんというスゴイ人。
かつてお話する機会があったので、「どこから“片腕カンフー”というアイデアが生まれたんですか?」と聞いてみた。
ご本人曰く 「片手だと、アクションシーンが楽だろ?」
時はブルース・リー以前、香港カンフー映画隆盛期のお話でした。